戦争男の光と影

作:アリマサ

今日も人を殺してきた

東京の夜の街中で、汚く錆びた橋に宗介がもたれていた
周りのネオンがうるさいくらいに点灯しては、決められた動きを繰り返している
もう仕事は終わって、帰ってきたところだった。しかし、まだ血のニオイが取れていない
こればかりは、ただ水で洗い流してもしばらく消えないのだ。
このニオイを纏ったまま、セーフハウスには帰りたくなかった。
どこかでニオイが落ちるのをただ待たなければならない

どこにいく当ても無いまま、ただ歩き出した。
ふと視界に、白い粒がちらついてきた。雪だった。寒いと思っていたが、こういう現象がさらにそれを実感させる
どこか、知り合いの居ない所に身を置こう。
宗介は建物の中に入ることを決め、まず酒場にしようと思った。酒を飲む気はないが、あの空間は、なぜか俺のような奴が息つけそうな気がした
すると、狭い歩道だというのに、十代後半と思われる男女四人の若者達が座って談笑していた
彼らは大口を開けて談笑していた。周りの迷惑さにはまったく気にかけてないようだった
自分さえ楽しければいいという傲慢さが体中から溢れてるようだった
通行人たちはそれを注意しなかった。最初からその歩道はなかったかのように、少し遠回りして歩いている
高級な服で着飾った中年女性も、くたびれた中年サラリーマンも、諦めているのだろう。それぞれ自分の世界をつくって夜の街を歩いていた
宗介は、かまわずその狭い歩道を通り抜けようとした。前に進むために、座り込んでいた若者達のわずかな隙間に足を踏み置いて行こうとした
だが、それに若者達はぴたりとしゃべるのを止めて、露骨に嫌な顔をした
真っ向から文句を口に出すことはなかった。だが、若者の男が座った体勢のまま、ぺっと唾を足に吐きかけてきた
それが宗介の靴付近のズボンの裾に付着すると、若者の男はひひっと笑った
傍に居た女が可笑しそうに拍手して笑う。もう一方の男がこっちに中指を立てていた
宗介は、ぴたりと足を止めて、若者達を振り返った
「あんだよ?」
宗介の視線に、若者達が悪態をついてくる。だが、宗介はそれを無視して、再び歩き出した。

そして先にあるバーに入る
狭い店だった。客の入れは悪いらしい。宗介以外には二人ほどしかいなかった
宗介はカウンターの席に座った。バーテンが注文は、と聞いてきたが、それを無視した
すると顔をしかめてきたので、仕方なく軽いおつまみ程度の食事を頼んだ。
あまり美味くはなかった。それを食べ終えてから、カウンターに肘をのせて、目を伏せた

ここでは、銃弾の音は飛び交っていない。煙もなく、土埃もない。
しかし、俺の身体には、この平和な国にふさわしくないほどに、血のニオイがこびりついていた
敵兵は、こっちに向かってなにかを叫んでいた。しかし、それを聞き取ることはできなかった
ただ、銃口をそいつに向けて引き金を引くだけだ
そしてその男の額に穴が空き、血が噴出し、俺の顔に、服に、付着していく
見慣れた光景だった。任務のために、人を殺す。誰も咎めることはなかった。敬礼に敬礼で返せばいいだけだ
戦争地帯では、こことは違った人の表情ばかりが目に入ってくる。苦痛、我慢、憤懣、憎悪。
その表情を向けてくるのは、敵兵だけではない。そこにいた村人も、子供も、女性も。その目に悔し涙を溜めながら、なにかを叫ぶのだ
流れ弾だとか、爆発による被害だとか、そんなキーワードを織り交ぜながら。
年端もいかない子供は、挨拶の言葉は知らなくても悪態の言葉は知っていた。こっちに叫ぶために。訴えるためにだ。
しかし、俺はそれを無視する。任務だから仕方ない。答えるとしたらこれだけだ
いつだったか、仲間がつぶやいた。守ろうとしてる人に死ねと言われるのが嫌でたまらなくなり、泣きそうになるだとか。
俺も時々、なにを守ろうとしているのか分からなくなる。そして、なんのために戦っているのか。
だがそれを考えることはない。銃を持つ時は、なにも考えてはいけないのだ。人形のように、課せられた使命を果たすために、その手を、その足を、血に染めていく
そう。誰も責める者はいないのだから

その時だった。綺麗な音がバーの中に響いてきて、俺は思考を現実に戻した
視線を音に向けると、黒イスに掛けた男が、ヴァイオリンを弾いていた
いい音だと思った。楽器なのか、演奏者なのか分からなかったが、とにかくいいと思えた
目を閉じても、さきほどの光景は現れなかった。代わりに、メロディーが作り出す、心地のよい世界が見えてくるようだった
音楽心があるわけじゃないのに、その世界に身を任せたくなった。なにも考えず、ただ耳を傾け続けた
そこに、新しい客が入ってきた。それはさきほど道路に座り込んでいた男女四人の若者だった
こっちには気づいていないようだった。雪が降って寒くなり、たまたまここに入ってきたのだろうか。彼らはヴァイオリンに近い席に座っていく
俺はそれを無視し、また目を閉じた。
演奏者の指が弦を揺らし、曲を紡いでいく。ゆっくりとした音だった。しかしその一音一音が染み込んでくるようだった
だが、その美しい音色は、近くの男女の下卑た笑い声にかき消されてしまった
さっきの歩道の時のように、相変わらず自分だけの世界をつくって、馬鹿笑いをしていた
その騒ぎが苛々を募らせた。さっきの音とは違って、人を不快にさせる声だ
なんとかそれを無視しようと努めた。ヴァイオリンの音だけを拾おうと耳を傾ける
だが、微細なメロディは、はかなく近くの笑い声に消えてしまう
そして店も、演奏者も、それを注意しなかった。歩道の通行人と同じように、すでに諦めているようだった

さきほどまでの心地よさはすでに消えうせていた。もう我慢できなかった
立ち上がると、その男女四人のテーブルの前に来て、一言告げた。
「静かにしろ。音が聞こえない」
ぴたりと、若者達の動きが止まった。そして一人の男が、汚い目でこっちを見上げて、醜い顔をさらに醜く歪めた
すると別の男が、目の前の男と同様に顔を醜く歪めて、指差してきた
「あっ、てめえさっきの。なんか文句あんのかぁ?」
「黙ってろと言っている。貴様らの汚い声を聞きたくないんだ」
宗介の言葉に、目の前の男が青筋を立てて、胸倉を乱暴に掴み上げてきた
そして別の男が、手元のコップをこっちに投げつけて、水を掛けてくる
冷たい氷と水が、宗介の顔と髪を濡らした。その様を見て、女達が可笑しそうにけらけらと笑った
「てめえがここから消えな。バーカ」
目の前の男が、中指を突き立てて、もうひとつの手で宗介の胸をどんと押した
だが、宗介の身体は後退しなかった。あんな押しで、倒れるわけがない。
すると、押そうとした男が、仲間の手前で馬鹿にされたと思ったのか、今度は握りこぶしをつくって頬めがけて殴りかかってきた
俺はそれを上半身をわずかに反らすことで簡単に避けてみせた。さらに空を切った男の拳を取り、ぐいっと背中に回す
腕をねじ上げられて、男が小さな悲鳴を上げた
それを見て、仲間の男ががたっと席を立ち、グラスを振り上げる
だが宗介は、そのグラスごと、素早く片足で蹴り倒した
男は派手に後ろに転がって、テーブルをなぎ倒していく
女達が悲鳴を上げた。汚い悲鳴だった。
それを無視して、ねじり上げてた腕を、さらにひねっていく
「痛えっ。ちょっ、折れるって!」
このまま折ってやってもいいと思った。こんな愚図がどうなろうが知ったことか
俺はなんのために戦っているんだ。こいつらを守ってやるためか?
しかし敵兵よりも、守るべきこいつらのほうが生きる価値も無いように思えた
他人の足を引っ張って邪魔するだけの、迷惑なだけのこの存在が。
「やめろって。やめてくれえっ」
俺の持つ殺人技術の一つを実行するだけで、この男はあっさりと死ぬだろう。
腰にあるナイフを、この後ろ首に突きたててやればいい。それとも腕を折って、首もへし折ろうか。
「悪かった。頼む、やめてくれっ」
男の懇願するその声も、無性に腹立たしい。いちいち態度を変えて、自分の身を守ろうとしてるだけだ。自分勝手な存在だ。
胸の中に憎悪がうずまいている。そうだ。まず、こいつの腕を折ってしまおう
だがその時、別の視線に気づいた。
演奏してたヴァイオリンの男だった。そしてこっちに向けていたその目が、あの村人達と折り重なって見えた
カウンターのバーテンも同じ目をしていた。そこにいる誰もが、俺にあの目を向けていた
俺は手を離した。男が肩を押さえて、うずくまる
俺は店を出ることにした。適当に代金をカウンターの上に置いて、入り口に向かっていった
背後から、なにか叫んでるような気がしたが、俺は振り返らなかった

外に出ると、雪はやんでいた。
ただ、それ以外はなにも変わっていない。通行人は相変わらず寂しそうにそこを通っている
ふうっと息を吐いて、歩き出す。足はセーフハウスに向かっていた
俺はなんのために戦っているのか。そもそも、俺はなんのために生きているのか。
あの目を見るたびにそう思う。俺も、さっきの若者と同じなのだろうか。

セーフハウスに着くと、足を止めた。
そこに千鳥が居たからだ
この寒い外で、ずっと待っていたのだろうか。頬は赤く、肩にうっすらと雪が積もっていた
千鳥は、こっちに気づくと、近づいてきた
それを見て、思わず動揺してしまった。
血のニオイは取れてるのだろうか
そして、それを思って気づいた。俺はセーフハウスに血のニオイを持ち込みたくなかったんじゃない。千鳥にそれを気づかれるのが嫌だったのだ

「お帰り、ソースケ」
そして千鳥は、すっと手を差し伸べてきた。
俺はそれを握るのをためらった。この小さな手を握る資格がないように思えた。
だが、千鳥からぎゅっと俺の手を取って、握ってきた。じわりと暖かくなった
「帰ろう、ソースケ」
俺は、無言でうなずいていた

そうだ。
いくらでも俺の手が血に汚れてもいい。この小さな手を、汚させないためなら

ぎゅっと、俺は少し握る手に力を込めた







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