「女は秘密で」

 

 

 

 

とにかく泳いだ。

息が苦しくなって、体が悲鳴を上げ、視界がどんどん狭くなる。

ひたすら泳いだ。

ただがむしゃらに、ひたすらに、自分の中の全ての力をたたきつけるように。

そうして、その先に、何か大切なものを見つけた気がした。

 

 

サビーナと別れ、かなめは濡れた体を引きずるように自分に与えられた部屋へと戻ってきた。

下着姿のままバスルームへと入り、シャワーのコックをひねり何のためらいもなく頭から熱いお湯をかぶる。

冷え切った身体にはぬるめのお湯さえも痛く感じた。

まるで熱湯でもかぶったかのように一瞬身をこわばらせ、
  その後ぬくもりにゆっくりと体が弛緩させていくと、自分の身体が泥のように重いことに気付く。

久しぶりの激しい運動に身体は悲鳴を上げていた。

体育祭やマラソン大会の翌日に感じる倦怠感に良く似ていた。

びしょびしょの身体をそのままにいますぐベッドにもぐりこみたい衝動をおさえて、かなめは頭からシャワーを浴び続けた。

 

言葉に出来ない思いが何かかなめの中に芽生えていた。

言葉にするほど明確なわけではない、でも無視できるほど儚い気持ちでもなかった。

ただ、かなめは自分の中でその思いの正体を突き止めようとは思っていなかった。

うまく表現できないもどかしさはある。でも、囚われの身になってからはじめて何かを感じたのだ。
  不明確ではあるが、自分の心は何かに動かされていたのだ。今は無言でその余韻を感じていたかった。

もちろん何一つ解決していない。

自分に出来ることなんか何一つないのかもしれない。

自分を取り巻状況は何も変わってはいない。

でも、それでも、

前へ、前へ、前へ。

自分は進むことを思い出した。

たとえ今はこれ以上先へ進めなくても。

前へ、前へ、前へ。

それだけで、世界は大きく変化する。

 

シャワーを切り上げ、バスタオルで髪を拭きながらバスルームを出ると、部屋の片隅でレナードがソファーに身を沈めていた。

彼の灰色がかった青い瞳が、薄暗い部屋の中でじっとかなめを見据えていた。

かなめに中の何かを探るように。深い、深い青。その瞳に宿る色の意味をかなめは読み取ることが出来なかった。読み取る気もなかった。

そして一瞬後にはレナードの瞳がすぐに飄々とした調子に戻り、何事もなかったかのようにかなめに話しかける。

まるで猫のようだと、なんとなくかなめは思った。

 

「夕食の用意が出来たんだけどな。」

「いらないって言ったはずだけど。」

「コシヒカリは今度用意するから、とりあえず僕と一緒にディナーでも。」

「食べたくないって言ってるの。」

「……食事を抜くのは美容にも良くないんだよ?」

「あなたに関係ないでしょう?」

「君にはきれいでいてほしい。ずっとずっとね。」

 

ずっと自分のこんなちんけな箱庭に閉じ込めてお姫様扱いするつもりなのだろうか。

一瞬そんな嫌悪を感じるが、それでもかなめは何も言わなかった。言う必要がなかった。

一度心の中に生まれた思いはそう簡単には消えない。

 

音もなくレナードはかなめに近づき、彼女の黒い髪を人房そっと救って口付けた。

「君には水が良く似合う。」

「水も滴るいい女……なんてね。」

今までだったら決して口にするはずのなかった軽口をかなめが言ったことにレナードが軽く眉をひそめる。

「やけに機嫌がいいんだね。」

 

機嫌がいい?そうだろうか?

それは違うとかなめは思った。機嫌がいいのではない。元に戻っただけだ。ほんの少しだけ。
 まだまだ昔の自分を思い出せはしないけれど、それでも少なくとも、前を向くことを思い出しただけだ。

 

今の心境をかなめはそのままレナードに伝えたいと思った。
  いつか、絶対にこの状況を覆す。私はあんたなんかに負けないのだといってやりたいと。

同時に、何も伝えたくないとも思った。自分の心の動きの機微をこんな男にいちいち伝えてやる必要などないのだとも。

 

 

今はまだ、秘密。

何も言わない。

何も。

自分の中に動き出した確かなものは、自分の中にあればいい。

 

 

だからかなめは、こう言った。

 

 

「綺麗?私が?」

「ああ、君は十分魅力的さ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

「知らないの? 女は秘密を着飾ってきれいになるのよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

その笑顔のなんと艶やかなことか。






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