その身を少しばかり振れば、瞬時に相手を捻じ伏せられる。
その右手を少しばかり動かせば、彼の愛銃はすぐに出てくる。
問題はない。


だが――



抜くべきか、抜かざるべきか。



ちょうど腰のホルスターあたりに手を伸ばしたまま、相良宗介は夕暮れの商店街を緩歩する。
足取りこそは普段と変わらず、寧ろ遅いくらいでもあるのだが、その精悍な顔に浮かぶのは――無数の脂汗と、至緊の翳り。
原因など、とうにわかっている。


尾行者だ。


それも、ただではない。
今まで味わったことのない気配、感覚。だが、戦場とは全く違う類の切迫感。
得体のしれないプレッシャーが、波のように引き寄せては遠のいて、彼の背中を湿らせてゆく。(無論、冷や汗である)

(どうする…?)

商店街の喧騒が止むことは無かったが、今や彼の周りは無音に近い。
それほど、その『尾行者』に神経を尖らせていた。

時間はゆっくりと流れる。



(…もう、限界だ)

宗介は足を止め、銃を抜きもしないままに振り返った。
相手も倣って立ち止まる。

「何の用だ」
「……ふ、ふえぇ」


『尾行者』と。


そう形容するにはあまりにも幼く、頼りない体つきの男の子だった。

「うっ。…うっ、うっ。へぐっ。ふえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」

彼はたちまち、ぽろぽろと涙を零し始める。

「…・・・……」

気のない表情で数秒沈黙してから、宗介は溜息をついた。







pursuer.








宗介のあとをつけた小さな尾行者は、相手の事情云々なんて知ったことは無い風情で泣き続ける。
宗介は両膝をついて、根気よく尋ね続けた。何しろ話が発展しない。

「…もう一度訊くぞ。泣かないで答えるんだ。道に迷ったのか?」
「ふぇぇぇ」
「いいか、もし迷ったならこのGPS付きの携帯マップを――」
「ふぇぇぇぇぇぇっぇ」
「具合が悪いのか?」
「…ふぅ。ひぐっ」
「親とはぐれた、或いは親が誘拐された…のか?」
「ふぅ〜ん〜〜〜〜!!」
「だから、泣くな!!」


少年のしゃっくりは止まらず、見ているこちらもだんだん息苦しくなってきた。
宗介は頭を抱えた。

(まいった…)

自分の目の前で、誰かに泣かれる。

かなめだとか、テッサだとか。こういうことは、不本意ながらも彼は何度か体験している。
だが今回のものはだいぶ違う。前よりも増して、どうしていいのかわからない。
こういうシチュエーションは実際のところ、彼の得意とする範疇のまったく外側にある。
苦手、といっても語弊はないだろうが……

そもそも、この少年…さっきから一度も人語を発していない。何を聞いても泣くばかりなのだ。
見かけは、どこにでもいる普通の男の子だというのに。思案に余る。
一応持っていた迷彩柄のハンカチ(というか布切れ)も涙やらなにやらで、たちまちぐしょぐしょになった。
苦りきって、詰襟の袖で適当に拭き取る。
そこで、気付いた。


(………?)


目に入ったのは、手で顔を半分隠したまま少年の頬に、刻まれた『何か』の痕。
どこかで見たことがあるような、傷のような――

働きかけた彼の思考を、怪訝そうな声がさえぎった。


「ソースケ?」
「っ!!!」

大げさなくらい肩を震わせて後ろを振り向くと、買い物袋をぶら下げた千鳥かなめが立っていた。

「……千鳥…」
「どーしたのよ。誰?その子」
「いや…」
「迷子なのかな?」
「わからん」

今、目の前に現れた彼女は、宗介にとってはまさしく天の助けに相違なかった。
かなめが宗介の横から顔を突き出して、その少年に優しく声をかけた。

「どうしたの?お母さんとはぐれた?」
「……お母さん、いない」
「父親といたのか」
「いない。…覚えてない」
「………」

彼女にはまともに答えてはいるが、妙な返事だ。
一瞬、奇妙な感覚が彼を襲った。思わず変な質問が口をついて出た。

「…年は?」
「明日で、8歳」
「…………」

どこか遠い目で黙りこくる宗介に彼女は一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに向き直って、

「名前はなんて言うの?」
「――――」

一瞬の沈黙の後、少年は、凍りついたような無表情で口を開きかける。
さっきまであんなにも泣きじゃくっていただけの子供なのに、何故だかこのときばかりは怖いと感じた。

「もういい」
「……へ?」
「やめよう」
「…ソースケ?」
「いいか。今の問題は自力で解決しろ。他に助けを求めるな」
「ちょっと、あんた…何言ってんの?」
「だが、もし、また彼女に会ったなら、それは幸運だ。頼ってみるといい」
「………」
「千鳥、行こう」
「…え…」

強引に手を引いて踵を返し、夕日と喧騒に包まれた商店街をつかつかと歩いていく。
かなめは怒るというより、宗介の突然の豹変にうろたえていた。

「ちょっと…なに怒ってるのよ…?」
「怒ってないぞ」


後ろから少年の泣き声が聞こえることはなかった。
いや、むしろ、もう彼の姿は消え失せているかもしれない。
彼は、きつく目を瞑った。





――たまに、こういう馬鹿なことを考える自分がいる。

もし、あの頃彼女に会っていれば自分は変わっただろうか?
殺さずに生きていけただろうか?

そんな馬鹿げたことを本気で考えさせられるくらいに、彼女は清浄だった。
自分をあの憂鬱な世界から引きずり出してくれるような、不思議な存在。
呆れるような考えだが、それがこの幻覚でも作り出したのだろうか。

「あー、あの子大丈夫かしら…」
「大丈夫だ。たぶん」
「たぶんって、あんたね。そうは言っても――」
「君に会えてよかった」
「え」

もっと早く彼女に会ってさえいれば、変わったかもしれない。
しかし、ようやく気づいたことだが、今でなければ彼女は守れない。
赤い手だからこそ出来ることがあった。

そう、俺の得意分野は   『殺すこと』 
どう探ってもそれしかないことを、そろそろ認めてみようか。

「…えー…と……。その。あ、ありがと」

幻覚にしては、妙にリアルな温かみが左手から伝わってくる。
もしかしたら、やはりこれは現実なのかもしれない。
今しがた変な発言をしてしまったことに、しまったとは思いながらも、この左手はそのままにしておくことにする。

「あのさ。…ソースケ、誕生日いつ?」
「明日だ」
「はっ!!?」
「明日、だ」
「…………。そっか」
「ああ」
「…………」
「…………」
「あ、あのさ!!誕生日なら、明日うちに来ない?」
「構わんが」
「ちょっとは祝おうよ。あんたのことだから、そういうのやったことないでしょ?
 あたし、ほら、料理とかは結構得意だから」


彼女と自分の差をこんなところで実感して、宗介は密かに苦笑した。







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