ないしょないしょ

 甘苦い潮風が、唇の辺りにねっとりとまといつく。
 夏の浜辺の闇は、みっしりと重い、そんなふうな感じがする。
 湿気を帯びてざらりとする砂浜に腰を降ろし、千鳥かなめは戦利品を物色していた。
「現地調達の割には、けっこう色々揃ってるでしょ」
 言いながら派手なポップで満載の袋を千切り、手際よく取り出したそれらを種類別に取り分けてゆく。
「ロケット花火にスパーク、それからパラシュートね。
 ネズミ花火に打ち上げ3種、蛇花火なんてのもあるわよ」
 浜辺に並べられたとりどりの花火に、幾本もの手が伸びる。
 花火の袋に備え付けられていたロウソクに、浜風に苦労しつつ火を点ければ、
 程なくしてあちらこちらに小さな光の花が咲いた。
「おお、やってるわね」
 後始末用のバケツに水を満たしてきたかなめは、ぐるりを見回すとさて自分もと花火に手を伸ばし、
 そして初めてそれをむっつりと眺めている男に気づいた。
「ソースケ? あんたやらないの?」
 すると男は眉間にぎゅっと深くしわを刻んだまま、詰問するようにかなめに向かって口を開く。
「いったいこれは何の訓練だ、千鳥」
「はあ?」
「あのような貧弱な爆薬で……陽動か何かのつもりか? まさか焼夷弾代わりだなどとは言うまいな」
 彼は首を振って重苦しいため息をつくと、この夏だというのに着込んだままの
 アーミー・ジャケットの内側から、拳ほどの大きさの筒状のものを取り出した。
「いくら日本が平和な国だとは言え、なんとも嘆かわしい話だ。
 ここはひとつ、俺が例え訓練用でもこれぐらいの爆薬は使うものだというところを……」
 実践、と言いかけたところで、男はすでに砂浜に沈んでいた。
 彼を沈没せしめたのは千鳥かなめの持つ、手作りのハリセンだ。紙製の。
「こぉのアホボケ、おたんこなすのおたんちんっ!! きらめく夏の思い出を、
 真っ黒に塗り替えるつもりなわけ、あんたはっ」
「……おかしい。なぜたかが紙製の武器で、俺にこれほどのダメージを……」
「やかましいっ!」
 とにかくそれをどこかにしまえ、いいやいっそこの場で海に流してしまえと怒鳴り散らすと、
 男はようやく砂の中から立ち上がった。しらっとした表情で、身体中についた砂埃など払っている。
 これが相良宗介。陣代高校二年生とは名ばかりの嘘っぱち、
 その正体は千鳥かなめを護衛すべく、さる傭兵部隊から派遣されてきた兵士である。
 なぜ一介の女子高生に過ぎないかなめが、護衛などが必要な立場に置かれているのか、
 そのあたりは説明が長くなるので省くとするが、いくら目立たず護衛対象の側にいられるからとは言っても、
 それまで戦場しか知らなかった硝煙臭い男が、ただの学生に扮するのには無理があった。
 年齢は十七歳くらい、おまけに日本人で外見的にはまったく問題がないものの、
 日本での居住経験はほとんどゼロ、そのせいか日本語には不自由ないが、中身は外国人だと言ってもいい。
 そしてその「外国」すらも、「紛争」「内乱」などの物騒な釣り書きが満載の場所ばかり。
 そこで幼い頃から「逃げる」でなく、「戦っていた」となれば、
 これはもう日本での暮らしがちぐはぐなものになること、火を見るよりもあきらかである。
 実際日常生活での彼は、迷惑以外の何者でもない。かなめの守護者として気を張ってくれている、
 というのもむろんあるのだろうけれど、何かというとすぐ銃器類を持ち出すし、
 持ち出すのみならず使用する。
 そのせいで彼は、ボディガードとしては最低限のルール、
 「目立たない」から激しく逸脱しまくっているのだ。
 いつだか本人にその点を指摘したら、「もともと俺は、偵察と暗殺……いや、爆破が専門なのだ」
 と答えにもならない答えを、むっつりと返された。
 かなめとしては、仕事とは言うもののこれまでさまざまな危険から守ってもらっている恩もあるし、
 何より立場上つねに側にいるので、彼が何事か起こせばそのほとんどの被害が自分にも降りかかってくるという、
 事実上の「害」もある。それで平穏な日々の彼女の目下の仕事は、この平和な生活に馴染めないドンパチ男に、
 少しでもましな常識を仕込んでやること、になってしまっていたりするのだった。
 本当に普通で平穏な学生生活など送れていたのはいつの話か、最近では思い出すことすらままならない。
 だからこの日もかなめは、仁王立ちスタイルで片手にハリセンを持ったまま、
 こんこんと目前の宗介に「花火とは何ぞや」を語り聞かせてやるのだった。
 ちなみに宗介は強制的に、かなめの足元で正座の姿勢を取らされている。
「いいこと? よぉく聞きなさい、ソースケ。花火っていうのはね、
 日本の夏の風物詩なの。あんたの持ってる、その情緒の欠片もない無粋なモンとは、
 まったく真逆の位置にあるものなのよ」
「フーブツシ? なんだ、それは。日本固有の作戦【コード】名か」
「あたしのあとの説明を聞いとらんかったのか、あんたはぁっ!」
 スッパーン! 切れのいい音がして、宗介の頭上でハリセンが炸裂する。
 彼はまたもや、砂浜にディープキスする羽目になった。
「……砂が口に入ったではないか」
「うるっさい! ええい、周りを見てごらんっ!!」
 業を煮やしてかなめは身体を半分開き、背後の風景を宗介に見せてやる。
 彼女の腕が差し伸べられたその先には、実に青春そのもののひと時があった。
 黄色や緑のスパークを振り回して、小野寺孝太郎がなぜかブレイク・ダンスを踊っている。
 それを見て何がおかしいのか、きゃらきゃらと笑っている常盤恭子、
 ネズミ花火に「まあ」と目を丸くしている美樹原蓮、
 ぶるぶると緊張しながら打ち上げ花火に火を点けようとしている風間信二、
 それに対して「早くしなさいよ!」とハッパ(というか文句)をかけている稲葉瑞樹……という、
 実に牧歌的な光景である。
「原始宗教の儀式か?」
「ちっがぁーう!」
 その時。信二がようやくのことで打ち上げ花火に着火することに成功したようだった。
 ぽひゅっ、と間の抜けた音がして、小さな光球が空へと昇る。
「いかん! 伏せろ、千鳥っ!」
 宗介は叫び、かたわらのかなめを砂地に突き倒すと、手に握ったままだった爆薬に
 素早く火を点け放り投げた。ささやかな花火に本気の殺傷能力を持つ爆薬がぶつかる。
 ずどぉん、と凄まじい音を上げて炸裂する火花を見上げ、こんな光景には哀しいかな、
 すっかり慣れ親しんでしまった孝太郎がつぶやいた。
「……たーまやぁ」





 他の連中から離れた岩場に襟首を捉えられて連れ込まれ、宗介は顔をしかめて首をひねった。
「……なぜこんなところに?」
「その理由をあたしに言わせるつもりなわけ、あんたは」
 底冷えのする声でかなめは言い、再び宗介をそのごつごつとした岩場に正座させた。
「脛が痛い」
「黙れ!」
 かなめが一喝すると、宗介はややしゅんとしたようだった。
 警察が来なかったのは奇跡だ、と呟きながらがさがさと袋を漁るかなめを、今度はおとなしく見守っている。
「ほら、これ」
 ややして。かなめが宗介の前に突き出したのは、貧弱な一本の棒だった。
「なんだ、これは」
「線香花火よ。どーしようもなく好戦的なあんたには、これしかないわ」
 かなめはそれを宗介に持たせて、先端に火を点ける。すると、棒の先からちりちりと、小さな火花が飛び出した。
「……?」
 腑に落ちない顔つきで、宗介が棒を振る。するとせっかく出来かけていた光の玉が、
 ぽたりと下に落ちてしまった。
「ああん、もうっ!」
「な、なんだ?」
 戸惑う宗介には見向きもせずに、かなめは彼の手から火の消えた花火をひったくり、新しい花火を握らせた。
「もっとそうっと持ちなさいよ。これはね、繊細な花火なの。
 ちょっとでも動かすと、せっかく出来た玉が落ちちゃうでしょっ」
「落としてはいけないのか」
「だめよ。これをいかに大きく長く保つかが、『夏の風物詩』のひとつなの」
 言いながら自分でも、「それはどうか」という気がしたが、
 対する宗介は「なるほど」などと納得している。かなめは面倒だから、もうそのままでいくことにした。
「ほら。努力しなさい」
「うむ」
 こうなると宗介は素直なもので、新しく点火してもらった花火を今度は慎重な手つきで持ち、
 じっと黙ってうつむいている。
 彼が大人しく、何も言わないので、かなめも自然と静かに側にいる形になった。
 遠くで孝太郎が「おぉい、相良、千鳥! 何してるんだよっ!」と言うのが聞こえ、
 その耳を恭子が引っ張って連れてゆくのが視界の隅に映ったが、気づかなかったことにする。





 線香花火はぱちぱちと繊細な稲光をきらめかせながら、
 ゆっくりどこか甘そうな色合いの光の玉をつくってゆく。
 ほのかな橙【だいだい】の灯りが、下から宗介の顔を染め上げていた。
 かなめはそれを、気づかれないようにそっと見上げる。
(……ほんとに、こうして黙ってりゃあね)
 無造作に切りそろえた黒髪が、適当に彼の輪郭を縁取【ふちど】っている。
 伏せたまつげは存外長く、鼻筋はすらりと通って、やはり顔の造作はけっこういい。
 転校して来たばかりの頃は、この見てくれに騙されて、女の子からの告白もあったりしたものだが。
 ――今となっては、そんな命知らずは一人もいない。
 それで良かったと思う気持ちが心に浮かんで、かなめは誰に知られたわけでもないのに赤くなると、顔を伏せた。
「……千鳥?」
「ぅわっ! な、なによ!?」
「火が落ちた」
 だいぶ頑張ったらしいが、花の命は尽きてしまったらしい。
 かなめはまた彼の手から花火の燃えさしを奪うと、新たな花火を握らせた。
「まだやるのか?」
「当たり前でしょ。これは風物詩の修行よ、修行」
「む。了解した」
 風物詩の修行とは、なんだかよく分からない言葉だが、宗介はさして疑問にも思わなかったようだ。
 彼は彼なりに己の常識知らずを自覚しており、この国に溶け込もうと努力しているのだった。
 だからこそ、かなめも文句を言ったり怒ったりしつつも、協力してあげたいと思うのだ。
 ……もっとも最近は、そればかりが理由でもないのだが。
 ちりちりちり。儚い火花は、どこか同じくらい儚げな、蛍の光を想起させる。
 火の玉はふるふると震え、そのたびに宗介は眉をひそめた。
 かなめは少し、ほんの少しだけ、彼のそばに身を寄せてみる。
 ふうっと硝煙の臭いがした。なぜだか少し、哀しくなった。
「ソースケ。楽しい?」
「修行は楽しんでやるものではない。俺はいま、ひどく緊張している」
 杓子定規な答えに、思わず笑い出してしまう。
 かなめがくすくす笑っていると、不意に宗介が顔を寄せて訊いてきた。
「何がおかしい?」
「ぎゃっ!」
 いきなりの接近にかなめは慌て、宗介の横面を張り倒してしまう。
 じゅっ、と小さな音を立て、線香花火は浜へと落ちた。
「ああ……」
 二人同時に、ため息が出る。
 そしてかなめはまた、彼の手に線香花火を握らせた。





 なんでもない夏の一風景。でもそれをひどく切なく思うのは、忍び寄るこの予感のせいだろうか。
 最後の夏かもしれない。なぜだかそんなふうに思う。
 だからかなめは、過ぎゆく季節を惜しむように、線香花火を彼に持たせる。
 ほんの少し、何の気負いもなくそばにいれるこの時を、大事に胸に抱くように。
 静かな彼の面差しを、気づかれることなく見れるよう。
 ――だけどそんなこと、絶対に言えない。
 だからこれは、ないしょないしょ。





「ち、千鳥……まだやるのか? 俺はもう腕が痺れ」
「おだまりっ!」





【終】






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