そして夜、違和感の正体もつかめず、一人悩む宗介の元に、マンションの隣人がやってきた。
片手にビールを抱え、我がもの顔で相良家の冷蔵庫からいくつかつまみになりそうなものを見繕った
その男は宗介の疑念など知りもせず悠々と彼の部屋まで足を踏み入れる。
「なんか、機嫌悪いんだって?袋さん心配してたぜ。」
「うるさい。というかクルツ、どうしてお前はそんなに母さんと親しいんだ。」
「そりゃ、アンだけ美人が隣に住んでりゃ、やっぱいろいろ意識しないわけには行かないだろ?」
目の前に息子がいるにもかかわらず不埒な発言をしゃあしゃあと言ってのけるこのクルツ・ウェーバーという男。
彼は宗介の隣人であり腐れ縁の続く仲だ。日本人の血など一滴も流れていないのにもかかわらず、そのしぐさは宗介よりも日本人じみている。
「どうした、不景気そうな面しやがって、いいもんやるから元気出せよ」
「また売れ残りのチケットか。」
「そういうなって、俺のソウルフルな歌きけば悩み事なんて万事解決さ。」
クルツは都内の大学に通っており、そこで知り合った外国人メンバーとバンドを結成している。
「マオ姐さんの新曲、すげーうまいんだぜ。」
「マオ姐さん」と呼ばれた女性は確かボーカルを勤めるクルツよりも年上の女性だ。
宗介も一度だけあったことがある。ショートカットで猫のようなしなやかさを持つ女性だった。
「わかった、わかったからいい加減帰ってもらえないか?」
正直クルツの相手をしていられるような心境ではなかった。
訳もわからない焦燥感。
つかめそうでつかめない何か。
今ここで考えることを放棄してしまえば、自分は一生この迷路から抜け出せないような気がする。
ようやく、クルツも宗介の普通じゃない様子に気付いたようだ。
ビールの空き缶をくずかごへ、一発で投げ入れると、しっかりと宗介のほうへ向き直って言った。
「話してみろよ。」
滑稽な話にしか思えないようなことでも、この隣人は真剣に聞いてくれることを宗介は知っていた。だからこそ話した。朝から感じる奇妙な違和感を。
友人の話した修学旅行の話に対する違和感。
林水会長の残した奇妙な言葉。
テッサのかたくなな態度
そして、思い出せない「副会長」の存在。
クルツは黙って聞いた後、言った。
「忘れちまって、いいんだよ。」
「しかし、」
「そんなの気にすんな。忘れちまえよ。日々の繰り返しのうちに、忘れちまうさ、そんな違和感。」
「クルツ!」
「なに神経質になってんだよ、疲れてるんじゃね?」
その言葉が、宗介の癇に障った。
いつもの軽薄さを装って告げられた、いつも以上に無意味な言葉。
宗介の真剣な問いに対しての答えは、どうしようもなく不誠実だった。無理矢理なにかをごまかそうとしている。
彼もテッサと同じで、なにかを知っていて、なにかを分かっていて隠している。
「もういい。出ていけ。」
「おい、ソースケ」
「いいから、出て行ってくれ。」
これ以上、クルツに言うべき言葉はなかった。
扉の向こうに、人の気配がした。
クルツが母親としゃべっている。
――ごめんなさいね。クルツ君
「いえ、でも……じきにあいつは思い出しますよ。」
――思い出しても、辛いだけじゃないかしら。
「辛くても、逃げ出すような奴じゃないですから。」
――思い出さなければ、平穏に暮らせるのに?
「だけど、奪われたものはもどらない」
――思い出しても、取り戻せるわけじゃないわ。
「それでも、取り戻す努力は出来るんじゃないですか?」
――もう、半年以上過ぎてるのよ?かなめちゃんが、いなくなってから
カナメチャン ガ イナクナッテカラ……
そこに、全ての答えがあった。
千鳥、チドリ、ちどり、千鳥、千鳥、ちどり、チドリ
――千鳥かなめ
突然奪われた大切な人。
なにか悩んでいることも知っていた、ひとり重たい荷物を抱えていることも。
聞かなければならないと分かっていたのに、聞けばなにかを変えてしまいそうで自分は口をつぐんでしまったのだ。
見かねた会長が「話し合え」と言ってくれたのに、結局自分は何も言うことが出来なかった。
ただ、側にいることしか出来なくて、それなのに側にいてさえ守れなかった。
生徒会選挙のあった日の夕方、初めて手をつないだ。その後、副会長だった彼女が仕事納めの記念だといって自分を部屋に招いてくれた。
そして、そして向かった彼女の部屋に、あの男がいた。
アッシュブロンドの髪を長く伸ばした細身の男。
突然の不法侵入者と彼女は宗介にまったく理解できない会話を交わしていた。
そして男はまるで宗介などはじめから存在しないかのように、彼女に自分についてくるように言った。
わけも分からず慌ててとめようとする宗介を次の瞬間襲ったのは圧倒的で、非現実的な暴力だった。
サイレンサーによって消音されているくぐもった銃声。頬を掠めた銃弾の痛み。心臓の鼓動と一緒に流れ出る血。初めてか嗅いだ硝煙のにおい。
一介の高校生である宗介には何もかも縁遠い、感情の伴わない怜悧な殺意。
それだけで、最早動くことなど出来なくなった。
銀髪の男が優雅なしぐさで彼女の手を握る。男に導かれ、彼女が歩き出す。
長い髪が影となって、彼女がそのときどんな顔をしていたのか宗介には分からなかった。
ただ、二度と宗介の手の届かない場所へと連れて行かれてしまうのだと思った。そんなこと、絶対に許容できることではなかった。
でも、それでも、宗介は動くことが出来なかった。
動けば、殺される。そう分かっていたから。
そして呆然としている宗介に投げつけられた無慈悲な言葉
「無理だよ。相良宗介くん。ただの高校生に過ぎない君にいったい何が出来る?」
平凡な高校生である宗介は、あまりにも無力で無知だった。
そうして、彼は全てを放棄したのだ……。
<それは、混濁した意識の中で寄せては返す可能性の世界>
『軍曹。』
「ん?」
『軍曹、起きてください。』
「……アル…か?」
気付けば、世界は元通りで、彼は相棒のコックピットの中にいた。
嫌というほど握ってきた操作スティックの感触がこれないほどの現実感を示し、今までの全てが夢だったことを理解する。
「俺はどのくらい眠っていた?」
『最後の音声入力から50分が経過しています。』
連日連夜の宗介の徹夜作業での疲労を気にしたアルが、宗介に移動時間を利用した仮眠を薦め、
移動中に眠れるかと反論したもあの手この手で言いくるめたのが一時間弱前のことらしい。
『あまり、いい夢を見なかったのではありませんか?』
「何故そう思う?」
『私はあなた自身の写しです。些細な変化であっても気付きます。仮眠は疲労回復の有効な手段にはならなかったようですね。』
「不思議な夢を見た。」
『どんな夢ですか?分析できれば精神回復に……』
感情を交えぬ淡々とした声だからこそ言えたのかもしれない。
「俺が、普通の高校生だという夢だ。ASの操縦法も知らず、偵察も出来ない、銃さえも握ったことのないような、平凡な日本の高校生となる夢だ。」
『あまり想像したくはありませんね。私の存在意義がなくなってしまう。』
「そうだな。」
夢の中の自分は、あまりにも無力で、無知で、目の前で千鳥を奪われても何も出来なかった。
善良で、平凡で、きれいな世界に暮らすこと。
高校の友人たちの姿がよみがえる。
彼らのようになりたかった。彼らのようにきれいな世界で生きてみたかった。
自分の血にまみれた手が、醜く写って仕方がなかった。
でも、
夢のなかでの絶望を思う。
彼女を失って、何も出来ない自分の無力さがどうしようもないほどつらかった。
そう思うと、今の状況もそんなに悪いものではないのかもしれない。
俺は戦える。何度敗れても、何度奪われても、あきらめさえしなければいつか必ず彼女の元にたどり着ける。
それだけの力が、能力が、自分には確かにあるのから。
『ソウスケ、聞こえるか?』
「ああ。どうした、レモン。」
『少し状況が変わった、今データを送る』
「ああ。」
平凡なで無力で、善良な友人たちのようになってみたかった。それが、夢だった。
「ヒトの夢は儚いんだったな、千鳥。」
宗介は小さく呟いた。
――こんな現実でも、千鳥を救えないよりはよほどマシだ。
『軍曹、データ転送完了しました。』
「ああ、ディスプレイに出してくくれ」
そうして、宗介は現実に戻っていった。
彼女を取り戻す手ための戦いへ。
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