「ねえ、おとーさん」

「なんだ、裕香?」

「この写真の人、だれ?」

「ああ……この人か。この人は、俺の仕事の上司だった人というか、人生の師というか……とにかく、昔俺が世話になった人だ」

「ふーん……」

じー。

「裕香?」

「あたし、会えるかな?」

「会いたいのか?」

「うん。なんか、おじいちゃんみたいで。会ってみたい」

「……そうか」

くしゃ。

「わ」

「そう思ってるのなら、会えるかもな」

「お、おとーさん……。くすぐったい」

「そうか?」

「……でも……」

「?」

「……ちょっと気持ちいい」

「……そうか」

「……おとーさん」

「む?」

「えいっ」

ちゅっ。

「む……」

「えへへ……大好きだよ、おやすみっ」

「……やれやれ」























カリーニンおじさんの来た日




















『裕香ー、朝よー。朝ー』

下の階からおかーさんの声が聞こえる。

「んー……」

もそもそ。

もそもそ。

「……ぷはっ」

布団からにゅって顔だけ出すと、カーテンの間からもれた日差しが目に入る。まぶし……

「眠い……」

でも、そろそろ起きなきゃいけない。ベッドから出ると、ひょいって地面に足をつく。ちょっと冷たい感触が気持ちいい。

とてとて。

かちゃ。

がんっ。

「裕香ー、いつまで寝てんのよ……って、何してんのよ、あんた。そんなとこうずくまって」

「お、おかーさんひどいぃ……」

人の顔に扉ぶつけといて。うう、すっごい痛い……

「よくわかんないけど……そろそろ起きなさいよ。それと、お客さん来てるから着替えるように」

「言わなくてももう起きた……え、お客さん?」

目をぱちくりさせる。そういえば、ゆーくん来るって言ってた……

「あーっ!」

「な、なによ。急に大声出して」

「おかーさん、どうして起きてくれなかったのっ!?」

ちょっとびっくりした様子のおかーさんに詰め寄る。朝に起こしてって言ったのに。

「起こしたわよ。なんか『起きてるー……ぐー』とか言ってたけど」

「それ起きてないっ! あ、あたしまだパジャマのまんまじゃないっ!」

「そーね」

「そーねじゃなくってっ! ど、どうすんのよゆーくんとかもう来てるのに!」

「? ゆーくん?」

「そうっ!……って、なにお母さん」

急に笑い出して。

「ふふ……べっつにー。でも、今来てるのゆーくんじゃないわよ」

「へ?」

目をぱちくりさせる。じゃ、誰が……

「まあ、アレね。あたしとソースケの昔の知り合い……って、こら、裕香っ! どこ行くのよ! まだあんたパジャマでしょーがっ!」

「いいよ、別に」

後ろからおかーさんの声を聞きながら呟く。別にゆーくんじゃないなら見られてもいいし。

リビングに近づく。おとーさんが誰かと話してるみたいで、なんだかくぐもった声が聞こえてくる。

かちゃ。

「おとーさん、お客さんって……」

「ああ、起きたのか、裕香」

「む……君がそうか。よろしく、裕香くん」

「あーっ!」

そこにいたのは、この前写真で見た銀色の髪のおじちゃんだった。























「えっと……カリーニン、っていうの? あたしは――」

「相良裕香くん、だろう。ソースケやかなめくんから良く聞く」

「そ、そうなの?」

「ああ。とても元気でませていて……後、少しわがままだと」

「おとーさん」

じろっておとーさんをにらむ。何よ、わがままって。

「別にうそは言ってないと思うが」

「ぜんっぜん違うっ! あたしわがままじゃないし元気だけどませてもないし――ってなに二人して笑ってんのよいきなりっ!」

失礼だよ、そんなことしたら!

「いや、その……すまんな、裕香。だが、現実を把握するのも大切だと俺は思うのだが」

「あたし違うもんっ!――わっ」

ぺし。

「はいはい、そこまで。もーいいから。ほら、カリーニンさんにご挨拶よ、裕香」

「おかーさん……」

あたしの頭にハリセンを乗っけてるおかーさんを見て、『うー』ってうなる。なんか、悲しいよ。

「あたし、わがままなんかじゃない……」

「ええ、そうね。裕香はわがままじゃない」

「ほんとっ?」

「ただちょっと自意識過剰でうるさいだけよね」

「それほとんど同じだよっ! てゆーか少し酷くなってるっ!」

「はいはい、ほら。そんなことはどうでもいいから」

「どうでもよくない……わっ」

「ど゙・お・で・も・い・い・か・ら、挨拶しなきゃねー、裕香ちゃん?」

ぎりぎり。

「え……えと。こんにちわ、カリーニンさん。相良裕香です。狭くてちっちゃくてちょっと鬼っぽいおかーさんがいる家だけどくつろいで――あうっ!?」

すぱんっ!

「あんたね。もしかして遠まわしにけんか売ってる?」

ハリセン片手にかついだおかーさんがものすごい形相で言ってくる。こ、こわっ。

「あ、あはは。言ってないです。今のはなんていうか、口が滑ったっていうか言葉のあやっていうか、ちょっと本音がぽろって出ちゃったかなー……えぅーっ!?」

「しっかり本音言ってるじゃないのよーっ!」

「う、売ってないよーっ!」

どたどたどたっ!

……ずず。

「平和な家だな、軍曹」

「ええ、全くです」

「ところで、後ろで騒いでる二人は良いのか?」

「いつものことですから」

「そうか、いつものことか」

「ええ、いつものことです」

「なら、しょうがないな」

ずずっ。

「お、おとーさん、助けてよーっ!」

「ったく、誰が鬼っぽいですってっ誰が年増ですってっ! このぺちゃぱいがーっ!」

「と、年増は別に言ってな……えぅーっ!?」























「うう……酷いめにあった」

叩かれまくったおかげでずきずき痛む頭を抑えながらリビングに戻ってくると、カリーニンさんがソファーに座りながらいるのが目に入った。とことこと近づく。

「カリーニンさん」

「……裕香くんか」

「うん。……よ、っと」

ぽふっ。

「カリーニンさんってさー」

向かい側のソファーに座ってカリーニンさんを見つめる。こうやって見ると、随分格好よく見える。静かなんだけど、なんでか存在感みたいなのがある。

「お父さんと、昔の仕事仲間なんでしょ?」

「ああ、そうだが」

「どんな仕事してたの?」

ぴたってカリーニンさんの動きが止まる。ゆっくりと顔を上げて、

「……なに?」

「だから、お父さん達。よくわかんないけど、教えてくれないんだよ」

気になるんだけど、何回聞いてもはぐらかされるばっかで全然教えてもらえないから。

「……まあ、色々な」

「色々って?」

「色々は、色々だ」

「……むー」

ぷくーって頬を膨らます。とどのつまり、教えてくれないんだ。

「そう怒らないでくれ」

「けち」

「すまないな。だが、両親が言わないのをわたしが言うわけにはいかないだろう」

「言ってくれてるんなら元々聞かないよっ」

「まあ、そうだが」

「むー」

「そう怒らないでくれ。人には言えない職業もあるということだ」

「……人には言えない職業ってなにさ」

「君はなんだと思う?」

「へ?」

急にそう問い返されて言葉に詰まる。えっと……

「なんだろ……ホステスとかホストとか。あ、ないかもしんないけどおとーさんがどっかの国の秘密諜報員とかでそんでもっておかーさんと恋に落ちて結婚したとかなら面白いかなーなんて――ひひゃっ!?」

ぎゅにーっ。

「だ・れ・が・ホステスですって? 裕香ちゃーん?」

思いっきりほっぺを引っ張られて後ろを見ると、おかーさんがうふふふふって笑いながら立ってた。

「お、おかーさん。怖い、怖いよ」

「うふふ、そーかしら。別に怒ってなんかないんですけどねぇ」

「め、目が笑ってないよぉ……」

「あら、それはごめんなさいね。で……」

ぽん、ぽん、って静かにあたしの肩を叩く。ぼうぼうとものすごいプレッシャーを出しながら。

「あ、あぅ……」

「だ・れ・が・ホステスですって?」

「…………」

「…………」

「……あ、あたしは別に秘密諜報員と恋に落ちた女の子でもいいんだけど」

「誰がそんなこと聞いてるかーっ!」

すぱんっ!

「うぅ……いい加減にしてよ、おかーさん! そんなすぱんすぱん叩かれてるからあたし頭悪くなっちゃってるんだよ、きっと!」

「そんなこと関係ねーわよ! あんた大体算数で0点取ったときゆーくんと屋上に行ってさぼってたんでしょーがっ! 聞いたわよお蓮さんからっ! そんでもってお蓮さんに『あの子たちってまるで高校時代の相良さんとかなめさんみたいですね』とか言われて! すっごい恥ずかしかったんだからね!」

「あ、アレはゆーくんがっ……」

 言いかけて、なんか話題がずれてるのに気づく。思いっきりかぶりを振って、

「って、そんなことどーでもいいんだよっ! そもそもおかーさんが元々何やってたのか言ってくれないからいけないんじゃない!」

「そ、それとこれは関係ないわよっ!」

「あるもんっ! おかーさんの小じわが増えてるのと一緒なぐらい関係あるもん!」

「増えてないわよっ! 変なとこで変な事実捏造してんじゃないわよっ!」

「捏造なんかしてないもん! 大体――」

「まあ、その辺に。二人とも」

『ソースケ(おとーさん)は黙ってなさい(てよ)っ!』

おかーさんとあたしに一緒に叫ばれて、カリーニンさんがむぅ、ってうなり声を上げる。あ……

『ご、ごめんなさい、カリーニンさん。お父さん(ソースケのバカ)と間違えちゃって』

二人で一緒にぺこって頭を下げる。そして、お互いににらみあう。

「おかーさん、真似しないで」

「何よ、真似してるのはあんたでしょ」

「良く言うよ」

「あんたもね」

ばちばちばち。

空中で視線がぶつかって火花みたいなのが散ってる。ふふ……

「む、ソースケか。話には聞いていたが、なかなかすごいな。この二人は」

「……またやってるのですか」

「ああ。ところで、どこに行く気だ」

「……少しお待ちを。沈める方法を持ってきます」

『大体あんた(おかーさん)はね! いっつもいっつも生意気(うるさい)のよっ! この前のことだって――』

ばしゃぁっ!

「ぷぁっ!? つ、つめた――って、おとーさん」

急に水をかけられて。気づくとすぐ近くでバケツを片手に持ったおとーさんがあきれた風に立ってる。

「二人とも……昨日言ってた『もう喧嘩しない』という話はどこにいったのだ?」

『だって裕香(おかーさん)がっ……』

言いかけて、またはもる。きっ、て二人して睨みあって、

「おかーさん、真似しないでよ! サルじゃないんだから!」

「何よ、真似してるのはあんたでしょう! 大体それいったらあんたの方がよっぽどサルっぽいじゃない! 毎日毎日きーきー言って!」

「言ってないもん!」

「言ってる!」

「言ってな――」

ばしゃあ!

「…………」

「…………」

「なるほど。効果的だな」

「二人とも。客のいる前でぐらい静かにしてくれ。頼むから」

『はーい……』

「風呂はわかしてある。風邪を引かないように」

「はいはい……。行くわよ、裕香」

「わかってるよ……」

おかーさんの後をついてくみたいに、濡れた服をずるずると引きずってお風呂場まで向かう。























お風呂場から出てくると、なんだかいい匂いがした。

「なんだろ……」

とてとてと、お風呂場からリビングに向かう。テーブルの上、なんだろ……

「……カレー?」

茶色と赤の中間みたいなスープに、なんでか真ん中に白い塊がある。変なカレーだけど。

「カレーとは違うな。少し似ているが」

キッチンからなんでか赤のチェックのエプロンを着たカリーニンさんが出てきた。手には数枚の小皿。

「あ、カリーニンさん。これって、ボルシチですか?」

あたしの後ろでぐわしぐわしって髪を拭いてたおかーさんがテーブルの上の鍋を見て言う。

「……ボルシチ?」

「そ。ロシア――カリーニンさんが生まれたとこの民族料理」

「ふーん……食べていいの?」

「ああ。そのために作ったのだからな。……かなめさんも、どうぞ。人数分はありますから」

「あ、どうも。……で、あの、ソースケは」

「さあ。なにやら私が料理を作り始めようとしたら『急用を思い出した』とか言って外に出かけて行きましたが」

「はぁ……」

「ねえ、早くはやくっ。食べよっ」

「ん。そうね」

おかーさんと並ぶように、テーブルの席につく。カリーニンさんはあたし達の向かい側――いつものおとーさんの席につく。

「それじゃ、いただきまーす」

「いただきます」

スプーンでスープをすくって、言う。ううん、おいしそう……それじゃ、いただきます、っと。

ぱくっ。

ぴしぃっ。

スプーンを口の中に入れたまま時が止まる。な、な、なにこれ……

だらだらと冷や汗が流れて、ちょっと手がかたかたと震える。おかーさんを見ると、あたしとおんなじリアクションをしてた。

「どうですか?」

「え、えっと、ぉ……」

どうしよう。はっきり言ったほうがいいんだろうか。というか、なにこれ。毒? あたしなんか悪いことしたっけ?

そんなことを震える手を抑えながら考えてると、おかーさんが声を上げた。ちょっと震えた声で。

「あ、あの、カリーニンさん……これ、は」

「ボルシチですが」

「いや、あの。それはわかるんですけど……普通のボルシチと、なんだか味が違うような?」

「ああ、それですか」

そこで、カリーニンさんはふっ、て軽く息を吐き出した。どこか遠い場所を見るように目を細めて、

「実は、このボルシチは今は亡き妻が良く作ってくれたものでして。良く仕事が忙しく、家を留守にしてましたが、その時は何も言わずこのボルシチを出してくれたのです。『旨い』、と言ったら『本当?』と良く聞いてきていたものです」

「そ、そう、ですか……」

おかーさんが思いっきり頬をひくつかせながら笑う。うぅ……話だけ聞いたらすごい感動的なんだけど……なんていうか、これは。

「それで、おいしいですか?」

「え、ええ、もちろんっ!」

「う、うん、もちろんだよ! すごいおいしい! カリーニンさんったら幸せ者! できれば一人で幸せに浸ってて欲しいなって思うぐらい!」

「そうですか。ソースケがいなくなってしまったので、少しあまっていますから。おかわりがあったら言ってください」

「は、はい……」

「あ、ありがと……。でも、あたし、ダイエット中だから、ちょっとそれは遠慮しようかなー……あはは」

「あ、あら。裕香ったら、小さいんだからそんなこと気にしないで。たーんと食べていいのよ。たーんと」

「う、ううん、遠慮しとくよー。あは、あはは」

殺人的な味のするボルシチを前にしながら。

おとーさんがなんでいなくなったのか克明にわかったような気がした。

うぅ……もうボルシチなんて絶対に食べない。























「こんばんわー。ごめんね、裕香、遅くなった……って、どしたの。そんな水かけられたアンパンマンみたいにふらふらして」

「うぅ……ゆーくん、来るの、遅いぃ……」

「……へ?」

「うぅ……1.5人前はいくらなんでもきついよー……」

「えーと……あの、一体何があったのかな」

「うぅー」





「……ソースケ」

「む、どうしたかなめ。なにやらかなり調子が悪そうだが」

「裏切ったわね」

「なんのことだ」

「死ぬかと思ったわ。ていうか川の向こうで手振ってる母さんが一瞬見えたし」

「すまない。まあ、つきっきりで看病するから勘弁してくれ」

ひょいっ。

「ひゃっ。……ちょ、ど、どこ連れてく気よっ」

「病人はベッドで寝るのが一番だ」

「べ、ベッドって……ちょ、ソースケ、あんたなんか目がきゅぴーんって光ってない!? ねえ、ちょっと! ダメよ――んうっ」

「病人は安静にするべきだぞ、かなめ」

「……うぅー」












おわり。







Written By 東方不敗
2003/10/3





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