地獄のマラソンレース
前編
「ああっ……」

 千鳥かなめは空を見上げて嘆いた。

 季節は冬。肌を刺す寒さの中、陣代高校2−4の生徒は学校の外に出ている。
 今は体育の時間だ。

「う〜、さびぃ……」

 ただいま、気温は8℃。北風がビュービューと吹いている。
 とりあえずジャージを着ているのだが、こんなものたいした効果は無い。
 他の生徒も皆同じようだ。

「カナちゃ〜ん……さむいぃ……」

 とんぼ眼鏡の親友、常盤恭子がかなめに話し掛ける。
 普段は元気に揺れている彼女自慢のおさげも、今は『しなっ』と垂れ下がっている。
 かなめも、髪が邪魔にならないように、ポニーテールにしているので、うなじにかけてがかなり寒かった。

「ほんとよ……。こんな日は家でコタツに入って、ぬくぬくとお茶をすすりながら、みかん片手に笑点でも見てればいいのにさ……」
「うーん・・・。あたしはその前の天声慎吾の方がいいなぁ……」
「なにいってんのよ。あの、年季の入ったギャグがいいんじゃない!」
「でも、若い人の勢いある笑いも好きだなぁ〜」

 などという話をしていると、体育教師が声を張り上げた。

「よし!じゃあこれからタイムを計るぞ!皆気合入れていけよ!!」

 なんとも熱い教師である。火傷しそうだ。

「では、スタート!!」

 『ピィー』というホイッスルの後に、全員が走り出す。向こうには男子の姿も見える。

 どうして、こんな寒空の中、外で走らなくてはならないんだ。全くもって、わからない。

 本来、体の動かすのが好きなかなめにしては、珍しい発言である。どんなに寒くとも、体育の授業は大好きなはずの彼女が。

 しかし、ここ一週間は地獄の50分に思えてくる。このイベントだけは、スポーツ万能な彼女にとっても嫌なものだった。
 それはなぜかと言うと……。

「ったく、こんなの好きな奴だけでやらせておけばいいじゃない……」

 そう。今は、マラソン大会に向けての練習なのだ。






 その日の放課後。

「だぁーーーー、もう、うんざりだわ!!」
「どうした、千鳥」

 生徒会室でかなめは叫ぶ。

 椅子に『ドカッ』と腰掛け、ギシギシとさせる。顔はあからさまに不機嫌だ。
 なぜかというと、今日の体育は6時間目だったのだ。日も沈み始めて一番寒い時間。
 しかも、走り終わった後のあの疲労感。たまったものではない。

 今、彼女の近くには、宗介しかいなかった。他の委員達は、『触らぬ神にたたり無し』と言った風情で、かなり身を引いている。

 宗介自身、自分の身が危ういことを悟っていたが、たとえ今逃げたとしても、その後待っているのは想像するのもおぞましいものだったので、なんとかこらえた。

「どーしたもこーしたもないわよっ!なんであんな道を毎日毎日、だらだらと走んなきゃなんないのよっ!無駄!はっきり言って何の役にも立たないわ!」
「むう……。しかし、君の力をもってすれば、あの程度何でもないのではないか?」
「そういう問題じゃないのよ!あたしは、こんな不毛なイベントはもう沢山だって言ってるのよ!」
「ふむ……」

 宗介は腕を組み、考え込む。

「大体、もう2年ももうすぐで終わりなのよ!?体育ぐらいもっと楽しませてくれてもいいんじゃない!?それなのになぜ!?なぜ、マラソンなのよ!?マラソンは高橋尚子の走りっぷりに感動するくらいでじゅーぶんだっつーの!」

 ……などとぎゃーぎゃーわめき散らしていると、入り口から生徒会長の林水敦信と、書記の美樹原蓮が入ってきた。

「皆さん。お待たせしました」
「諸君、待たせたね」

 そうして、会長専用のソファーに座る。
 机にひじをのせ、手を組み、眼前に持ってくる。

「さて、全員そろったところで、今回の議題に入りたいと思うのだが…」

 その瞬間、かなめがしゅばっ、と手を上げた。

「センパイ!提案があります!」
「なんだね、千鳥君」
「あたしは、今回の議題の内容に、マラソン大会の中止を提案します!」

 その発言に、その場の人間が驚く。

「それは、なぜかね?」
「だって、もううんざりですよ!こんな意味の無いイベント!子供の頃からずっとあったけど、もう我慢ならないわ!!もっと別のにしましょうよ!」
「わがままを言うな、千鳥君。そんなことが出来るわけ無いだろう」
「だって、みんな同じ意見なんですよ!ねェ、みんな!?」

 かなめは、役員全員を見る。その眼光に一瞬怯えたが、ここで答えないと自分は終わる、と判断し、

「そ、そうっすよ!」
「い、いいかげんやめたいわ!」
「ち、千鳥先輩の言う通り!」

 何やらどもったりするのは、ご愛嬌と言ったところだろう。きっと。

 かなめは『うんうん』とうなずき林水の方を向く。

「みんなもこう言ってるんです、センパイ!どうにかならないんですか?センパイの力で!」
「千鳥君。それは横暴と言うものだ。力というものは、むやみやたらに使うものではないよ。力のある人間は、それこそ慎重に物事を捉えなくてはいけない。軽率な行動は控えるべきだ。そんなことも判らないのかね、君は」

 こんな時だけ、正論をのたまう。常日頃は、その力で宗介の暴走をもみ消してしまうのに。

 かなめは理不尽な怒りを覚えた。プルプルと拳が震えている。
 宗介は今、遺書を書いていなかったことを激しく後悔した。

 そんな彼女を無視して、林水は続ける。

「しかし、だ。私もあの無意味極まりないものを改善したいとは、前から感じていたのだよ。そこで今年は趣向を凝らして、何か一味違うことをやりたいと思うのだが、何か良案はないかね?諸君」

 林水のその言葉に、生徒会室の面々は目の色を変える。
 かなめは我先にといった感じに『だんっ』と足を机の上に乗せ、握りこぶしを天にかざし、咆哮した。

「絶対、ソフトボール!決まり!」

 これに便乗する形で、次々に名乗り出る。

「いや、まてカナメちゃん!そうとはかぎらねーぜ!」
「バスケがいいと思うわ!」
「いや、サッカーだろう!」
「バレーだ!」
「ドッジボール!」

 などと思い思いの意見を出していたが……。

「却下だ」

 林水のその声で一同は静まり返った。

「君達は一体、何を聞いていたのだね?私は『改善したい』と言ったのだ。代案を立てろとは言っていない」

 厳しい声で林水が言う。それには、さすがに皆ばつの悪そうな顔をした。

「提案は無し…か。ならば今年もこのままにするか。不本意ではあるが……」
「えっ……!」

 かなめは青くなった。

 冗談じゃない!せっかくあの最悪なイベントが、少しは良くなるチャンスだってのに……!

「会長閣下」

 かなめが必死に作戦を考えていると、隣の戦争バカがむっつりと手を上げた。

「何かね、相良君」

 林水は、期待の目で宗介を見る。

 元々この二人には、変人同士の奇妙な『共感』があるのだ。きっと、今回もその類に違いない。

 宗介は戦争バカだ。何を言い出すかわからない。しかも、林水の屁理屈には自分は太刀打ちできない。

 そうなれば、すべてが終わる。

 少々、マラソン大会ごときでオーバーな気もするが、ラブレターを爆破するような男だ。致し方あるまい。

(止めなきゃ!)

 かなめは慌てて宗介の口をふさごうとしたが、わずかに遅かった。

「自分は、訓練を提案します」
「ほう……。それは一体どういったものかね?」

 林水が眼鏡のブリッジをくいっとあげる。

「はっ。自分は以前、ラグビー部の訓練に奥多摩の山中で合宿を敢行しました。その際、使用した道具を若干改良して使用してみたいと考えています」
「ふむ……。続けたまえ」
「この訓練では、長距離、短距離、その他必要な運動能力、そして何よ
り、強い精神力を養うことが可能です。民間人にとっては、この上なく貴重な体験です」
「しかし、安全面はどうなるのかね?」

 林水の眼鏡がきらりと光る。

「その点なら問題ありません。以前のラグビー部は、試合に勝つという目的があったため多少の無茶はさせましたが、今回はあくまで訓練です。一種のアトラクションのようなものと考えていただいて結構です。いかがでしょう」

 満足そうに林水がうなずく。

「うむ。さすがは相良君だ。私の考えを良く理解してくれている」
「恐縮です」
「では、早速準備に取りかかるとしよう」

 そうして話がうまくまとまりそうなところに、

「ちょ、ちょっと待ってください!」
「なにかね、千鳥君」
「なんだ、千鳥」

 今まで口を閉ざしていたかなめが叫ぶ。変人二人は話の腰を折られて少々不快そうな顔をしたが、かなめにはそんなこと関係無かった。

「センパイ、あの日のことを忘れたんですか!?」
「あの日?」
「心優しいラグビー部のみんなが、凶悪な殺戮マシーンになってしまったあの日です!」
「すばらしい気合だったではないか」
「あれは、殺気です!!あたし達があんな風になっちゃってもいいんですか!?」

 必死の形相で林水に食ってかかるかなめ。しかし、林水はさらりと受け流す。

「そんな事は判っているよ。冗談だ。まぁ、君の出していた代案よりは、ましだと思うが?彼はこの趣旨をよく理解している」
「うっ……」

 それを出されると、さすがにかなめも少々つらい。

「それに、彼が安全だと言っているのだ。大丈夫だろう」
「そうだぞ千鳥。問題無い」
「ドやかましい!このネクラボケ軍曹!!あんたの問題無いは一番問題なのよ!!」
「ぬぅ……。ひどい言われようだな……」
「じゃあ、ただのラブレターを下駄箱ごと爆破したのは誰?ゲーセンで発砲して、シューティングゲーム壊しちゃったのは誰!教室にウイルスを持ちこんで、学校のみんなを下着一枚にしちゃったのは誰なのよ!!アンタよ!この戦争バカ!!」
「むぅ……」

 かなめは一気にまくしたて、宗介は脂汗を流す。
 そんな彼らを尻目に、林水は『平和』とかかれた扇子を開き、優雅に微笑んだ。

「それに、これは決定事項だよ。千鳥君。それでは、教職員には早速この旨を伝えるとしよう。相良君は明日から大会当日の間、会場作りに励むように。人員はどうするかね?」
「問題ありません。それに、素人が来るとかえって作業効率が落ちる場合があります。自分一人で何とかしましょう」
「正論だな」
「ちょ、授業はどうすんですか!?こいつ、ただでさえ単位がやばいんですよ!?留年確定じゃないですか!!」
「その点は問題無いよ。彼は大会までの間、出席扱いにしてもらう」
「申し訳ありません。会長閣下」
「なに。当然のことだよ」

 もう止めるのは不可能だ……。かなめはその事実に絶望を感じた。
 ならば、せめて被害を最小限に!!

「あ、あの!会場作り、あたしにも手伝わせてください!!」

 最後の希望の光を消さないためにも、必死に彼女は身を呈したが、

「却下だ」

 その光は、この一言で無残にも消されてしまった。

「どうしてです!!」
「君は、全く人の話を聞かない娘だね。彼は今、素人は来てもらっては困ると言ったのだ。君もこう言ったことには素人に当てはまると思うのだが?」
「その通りだ、千鳥。安心しろ。期日までには必ず仕上げて見せる」

 自信に満ちた眼差しで宗介が言う。

(いや、そっちの心配じゃないんだけど……)

 普段ならそんな凛々しい表情の彼にどきっとする彼女だったが、如何せん今は、つっこみする気力もないほどげんなりとしていた。もう、どうにでもなれといった心境だった。

「以上だ。では解散」
「お疲れ様でした」

 蓮はしっとりと微笑んだ。






 そして、一週間後……。

 ここは、秩父多摩国立公園、鷹丸山。東京都の最果て、山梨との県境のあたり。
 深く、切れ目のない針葉樹の森と、険しい斜面。頼りない登山道はあるにはあるが、それ以外の人造物などほとんどない。
 春はまだ遠く、大気は冷たい。

 そんな木々の向こうに、陣代高校の面々はいた。

 総勢、約八百人。
 一・二年の生徒と、教職員がジャージ姿でいた。三年はこの大会に参加しないのである。

「ちきしょー!センパイが改善したいって言ったくせに、三年は参加しないなんて!!」
「まぁ、しょうがないよ。例年そうなんだし…、受験もあるじゃん」
「わーってるわよ、んなこたー!!ただね、理屈と感情は別なの!!あー、むかつく!!」

 かなめと恭子も、2−4の列に並んでいた。宗介の姿はない。

 あたりを見渡す。
 見たところ、特に変わった部分はないようだ。しかし、油断は出来ない。何せ、あの戦争バカだ。自分達の理解の範疇を超えた男なのだ。

 そうやって、かなめが気合を入れなおしていると、前に置かれた壇上に宗介が出てきた。

「諸君、遠いところご苦労だった。今からこのアトラクション大会を決行したいと思う。」

 宗介がおごそかに告げる。生徒たちは未知のものへの期待感からか、歓声が沸いた。

「この血湧き、肉踊る試練を乗り越えた時、諸君らは非凡な戦士になることが出来る。心して臨んでくれ」

 この一言で、会場の雰囲気が一変する。それもそうだ。

 突然『血湧き、肉踊る試練』ときたものだ。不審というよりも、恐怖を感じるのが当たり前である。しかも、『非凡な戦士』などというものも出てきた。危険度100%である。

 冗談じゃない。非凡な戦士なんかなりたくない。

 かなめは『あちゃー……』といった感じで、片手を額にうちつけた。
 そんな彼らの様子に気づかない非凡な戦士は、

「安心しろ。安全面には配慮してある。楽しんでくれ」

 そう言うと、いくらか生徒たちはほっとした様子を見せた。もっとも、かなめは気を抜かなかったが。

「では、内容を説明する。今からこの公園を全員で一周してもらう。距離は3キロだ。」

 普段のマラソン大会は、男子10キロ、女子7キロなのでこれには皆喜んだ。

「その際、いくつか仕掛けを置いてある。そのトラップをうまくクリアして、ゴールまでたどり着いてくれ。ただし、コースは決められている。コースをはみ出したり、ショートカットなどといったことは絶対にしないでくれ」

 やけに絶対に部分に力を入れていたが、とりあえず一同はうなずいた。

「結構。なお、この競技は個人戦だ。学年、クラスは関係ない。1位には高価な賞品が用意してある。君達では絶対に手に入らないものだ。がんばってくれ」

 『高価な賞品』といった単語にかなめイヤーは、ぴくりと反応した。

(ふっふっふ……。豪華賞品はあたしのものよっ!)

 当然、生徒諸君の目の色も変わる。どうやら、この言葉は彼らに多大な力を与えたようだ。

「では、そろそろ時間だ。全員、スタート位置についてくれ」

 ぞろぞろと生徒たちが並び出す。かなめも先頭を陣取っていた。

「用意」

 『どぉん!』といった拳銃の音と共に、800人は一斉に飛び出した。

「「「うおおおおおおおおおおおおお!!!」」」

 すさまじい砂煙を巻き上げて、一同は去っていった。

「さて、何人完走出来るかな……」

 宗介は意味深につぶやいた。






……後編に続く


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