現実世界のフルメタ

作:アリマサ

雪の降った道通りで、少女は首に巻いたマフラーに口をうずめた形で歩いていた
二つに分けたツインテールの黒髪で、整った顔立ち。しかし、その表情は沈んでいて暗い少女を彷彿とさせた

――みんな、つまんない顔してる

少女とすれ違っていく人々の顔をちらちらと見ては、マフラーの中で小さなため息をついた
疲れを顔に出した中年のサラリーマン。化粧をして、ただ自分を飾ってるだけの中年女性。
本来なら元気の塊であるはずの子供も、あまり外では遊ばないのか、つまらなさそうに道を歩いていた
こういう人たちを見ていると、こっちもつまらなくなってくる。いや、面白いことなんてないのだが、いちいち自分は退屈な状況にあるんだということを思い知らされるのが嫌になるのだ
人の表情が乏しくなっている
少女の周りは、変化というものが無かった
決められた一日を淡々と過ごす。そしてそれがフィルム映画のように、何度も繰り返される
誰も少女に向けて表情を変えることは無かった。笑顔を振りまくこともないし、興味を示す者もいない
見えるのは、退屈、面倒、怠慢。それらのつまらない感情が表情として浮かぶだけだった



少女は図書館に入った

本の世界は好きだった。そこにはいろいろな感情の混じった世界が描かれてるからだ
滅多にない人生の中の激変を、一冊の本に凝縮されて収められている。その変化を感じ取るのが少女は好きだった
少女は窓辺の、端のテーブルのイスに座った。一つのテーブルにつき、四人分のイスが用意されている
そしてそのテーブルに本を置いて、自分なりの読書のひとときを過ごさせてくれるのだ
少女のついたテーブルには、他には誰もいない。他のテーブルになら、二、三人くらいはいたが、今日はどうやらあまり人はいないようだ
だがそれは大した問題じゃない。本が読めればいい
少女は星新一のショートショートを手にしていた。今日はそれほど図書館にいるつもりはなかったし、短い時間を楽しむならショートショートだ

二つほどの話を読み終えたところで、誰かが少女のテーブルに、少女と向かい合う形で席に着いた
それは自分と同じくらいの年端と思わせる少年だった。あまりスポーツが得意そうには見えなかった。しかしひょろひょろとした感じでもない普通の子だな、と外見だけで予想してみた
すると少年は、学生鞄の中から一冊の本を取り出し、それを読み出した
それはあきらかに図書館の本ではなかった。ビニールがかぶせられてないし、図書館特有の図書番号のシールが貼られてないからだ
図書館の中でも、図書館の本ではなく、家から本を持ってきて読む人も少なくない
ただ読む場所が欲しいのだ。こういう落ち着くところで読むのを好む人は多い。そして図書館側もそれで文句を言う人はいない
それより、少女は少年の読んでいる本の表紙を見て、なにか見覚えがあるような気がした
表紙は、タイトルだけじゃなく、絵が入っていた。それも一般書とは違って、アニメキャラのような絵と背景が入っていた
ライトノベルだ、とすぐに分かった
実は少女もライトノベルを持っていた。ここにではない。家に収めてある
ミステリー物や一般書も読むが、ライトノベルも好きだった。
そして目の前の少年が読んでいたその絵。二人の愛らしい少女が、拳銃を構えた少年を遊園地に引っ張っているイラストだった
フルメタだ、とすぐに行き着いた。タイトルに注視すると、『本気になれない二死満塁?』と書いてある。やはり、と思った
そして次に、すごいなあと思った。
ライトノベルは、一人で読むときにはいいが、他の人がいる中で読むのはかなり度胸がいる
そういうときは、大抵無地や本屋のロゴが入ったカバーで隠すのだが、少年はそれをしていなかった。だからすぐに何の本か少女には分かったわけだが。
そして感心したあとは、無性に嬉しくなってきた
実は少女もフルメタルパニックは持っている。そして大好きだった
フルメタの存在を知ったのは二年前。ライトノベルのことを知ったのも二年前だった。
つまり、初めて読んだライトノベルがフルメタだったのだ
それからも他のライトノベルの作品は読んできたが、今でもフルメタが自分の中では一番だと思っている
当然、最新刊まで揃えていた。最近出たのは、『あてにならない六法全書』。この巻数になっても面白さが衰えてないのはさすがだ

ちら、ともう一度少年の読んでいる本の表紙を見た
『本気になれない二死満塁?』は、シリーズの二巻目だ。
少年にとって、その本は今初めて読むことになってるのだろうか。それとも一度読んで、また読み返してる所なのだろうか
もし今が初めてだとしたら、まだ彼は椿一成とか用務員とかぽに男を知らないのだろうか。いや、ぽに男はどうでもいいけど。
その時、少年の口元が緩んだ。笑ったのだ。そしてその表情を、少女はかわいいと思った
もっとも少年にとっては、かわいいと言われても嬉しくないだろうが。
それにしても、どういう場面を読んで笑ったのだろう。
ここから見えるのは、本の分かれ目だ。そしてその前後の厚みからして、まだ半分の手前といったところか
そこで少女は、二巻目に納められた話を思い返した。
たしか最初のは誘拐とかで、林水と宗介が不良をやりこむといった……妥協無用のホステージだ。その次はなんだったかな
その時、ちらと少年がページをめくるとき、イラストが見えた
挿絵のイラストだろう。そして見えたのは一角だが、やたら顔のでかいかなめが、涙目を噴水のようにぶわっと流していた
思い出した。空回りのランチタイムだ。これもお気に入りの話なので、詳細がすぐに頭の中で再現される
ノートを借りた宗介が、返すのを忘れてしまい、かなめと四苦八苦するのだ
その話で笑ったんだ、と分かると、少女は不思議な感覚に包まれていた。共感というのだろうか。自分の好きな作品を、他の人が楽しんで読んでるというのはなぜか嬉しくなる
少年は、あまり表情を隠すことができないようだ。声には出さないが、ひくひくと可笑しそうに頬を引きつらせたりしている
その表情の変化を、いつの間にか少女は眺めていた
手に持っていた星新一の話が頭に入ってこなかった。それを読むフリをして、少年を観察するのに夢中になっていた

あっ、また笑った。
笑う度に、少年はかわいくなる。
声をかけてみようかなと思った。そしてフルメタのことでいろいろと話してみたいと思った
だけど、そうするだけの勇気は持っていなかった。でも残念だとは思わない
いいのだ。ただこうして、眺めているだけで
そういえば、と少女はふとなにかに気づいた
二巻目は、なにか大事なポイントがあったような気がしたのだ
それを引き出そうとして数秒、思い出した。
二巻目には、『やりすぎのウォークライ』という話があるのだ
ラグビーの話で、すごく優しいラグビー部員が、宗介の特訓によって変わってしまうギャグものだった
あれはフルメタファンの間で非常に評価が高い。そして笑ってしまう話だった
少女も、初めてそれを読んだ時、声を出して笑ってしまった。その時、一人で自分の部屋のベッドの上でよかったと思う。周りに人がいたら、きっと引いただろう
なにせあまりにおかしくて、腹を押さえてぶるぶると震えていたのだから。
もしこの少年が、今読んでるのが初めてだったら、絶対に笑ってしまうだろう
それを想像すると、その時がすごく楽しみになった
なにせここは図書館だ。うるさくしてはいけない。だが、もしあのガンホーだとかの場面を読んでしまったら、笑わずにはいられないはずだ
その時少年はどうするだろう。ここが図書館だということも忘れて、大声で笑ってしまうのだろうか
それとも必死に口を押さえて、腹を押さえて、我慢するのだろうか。パンパンと頬を叩いて押さえ込むのだろうか。それができるのだろうか
ビデオカメラがあればよかったのにな
あいにく、少女の持ってる携帯は動画は使えない。カメラも無いので、その時の様態を残すことができない
手元にそれがあれば、すぐに鞄をテーブルの上に置いて、そのわずかな隙間にカメラを仕込んで、撮るのに。
だがないのだから、それは諦めた。そのかわり、この目でしっかりと見ておこう

時計の針は、少女が図書館を出ようと決めていた時刻をすでに過ぎていたが、もう関係なかった
早く例のその時がこないかなと、手元の本をめくる仕草をして、待ち続けていた
だが少年の読書のスピードは遅いほうだった。一枚めくるのに二分近くもかかるのか。
読書歴が浅いのか、じっくりと読むタイプなのか
もはや細かい表情の変化はどうでもよくなっていた。そして、今はどこなのかが気になった
もうあの話には入ってるのだろうか。だが、こちらからではそれが分からない

ふと、少女は本を閉じた。そして立ち上がり、少年の後ろにある本棚に歩み寄った
本を探すフリをして、覗き込んでやろうと思ったのだ
少年の真後ろに立った。少年は本に夢中らしく、こっちの動きには無関心だった。
少女は本棚から適当に本を抜き取り、パラパラとページをめくる
そして手を動かしながら、視線を少年の向こうの本の文字を注視した
少年が陰になってよく見えなかったが、端っこの三行ぐらいの台詞は見て取れた
『「似たようなものだろう」
「ちがうわよ。それから神社の中ではね、あんまりヒドいことを口にしちゃいけないの。神様の来るところで『ここは異常だ』なんて。バチが当たるわよ?」』

それだけで、今少年が読んでいる話が分かった
神社と異常だとバチが当たるのキーワードさえ掴めば難しくないことだ。
これは宗介とかなめの台詞。ならば答えは簡単。『罰当たりなリーサル・ウェポン』だ
バイトで常盤恭子と千鳥かなめが巫女としてバイトし、宗介が勘違いして助けに行くという話だ
たしか、それならば次の話は例の『やりすぎのウォークライ』だ。
早く次にいけ。もっと笑えるんだから。
少女はそう念力を送ったつもりだった。
すると少年は、急にパラパラとページを大きくめくった
どうしたのだろう、と見守っていると、最初あたりのカラーページのイラストで手が止まった
このライトノベルでは、最初の数ページに、ある場面をカラーで描いた一枚絵があるのだ
そして少年は思い出したのだろう、開いたのはさっき読んでいる話の部分だった。
かなめが巫女の姿で、木の枝におみくじを巻きつけている絵だ。ホウキをわきに抱え、リボンで髪を束ねてるその姿に、しばらく少年は釘付けとなっていた

適当に取った本を持って、少女はさっきの席に戻った。ちらりと少年の顔を見ると、少し目の端が垂れていた。あきらかににやけていた
たしかにあのイラストのかなめは可愛い。こういう風に、男性読者を釘付けにさせているんだろうな
それは分かる。それは分かるのだが、一体何分、そうしてるつもりなのだ
余韻に浸るのも結構だが、こっちは次の話を読むのをずっと待ってるんだから
少女の脳内では、ずかずかと彼の横に来て、バッと本を奪い、『やりすぎのウォークライ』のページに合わせて、それを呆然としている彼の眼前に突きつけて、「さっさと読め!」と言っていた
本当にそうしてやろうかと思う反面、身体は動かない。そんな行動力があったら、すでにフルメタ仲間として話し掛けている
ぐぐっと、手に持っていた本に力が入る
すると、ようやく少年はパラパラとページをめくった。イラストを思う存分眺めて、満足したようだった
ついに話が進んだ。そろそろあのラグビーの話に入ったはずだ
その少年に合わせて、少女も頭の中で内容を読み返していた
たしか青春ドラマを見てた宗介とかなめが、林水センパイに呼び出されて、ラグビーの協力を受けることになるのだ
もうそこまではいっただろうか。
そしてかなめと宗介は、ラグビー部の部室を訪ねるのだ。そこで本当は心根が優しい部員ばかりで、ラグビーに向いてないことを知り、落胆し、宗介が鍛えなおそうとする
笑えるポイントはすでに一杯あるのだが、大事なのはそこからだ
宗介の似つかわしくない罵声でジャブを食らいつつ、例の試合の場面になる
そこで彼らは叫ぶのだ。ガンホー、と
ほとんどの読者は、そこで耐え切れずに笑い声を上げる。少女もその一人だ
早くそこまで読んで、と少女はページをめくることも忘れ、少年の顔をじっと見つめていた

その時だった。
少年はまた小さくぷっと笑ったのだが、その後に小指をぴんと立てて、その小指の爪を眺めたのだ
なんの仕草だろう、と首をかしげたが、すぐにはっとした
思い当たることがあった
かなめたちがラグビー部室に訪れた時に、ラグビー部員の郷田達が怯えるのだ
その時の描写はこうだったはずだ
『「どうしたの、郷田くん?」
「い、いえ。クモがいたものだから、ついびっくりして……」
見ると、小指の爪ほどのサイズのクモが、壁をさかさかと這っていた』
このシーンに笑ってから、小指の爪ほどのサイズのクモを思い描くために、ああして自分の小指の爪を眺めているのだろう
その時の場面を想像してみるというのはよくあることだ

だがそこで、ふと少年と目が合ってしまった。
少年と目が合うのはこれが初めてだった。少女はどきりとして、あ、と声に出してしまった
少女が突然の視線に戸惑って恥ずかしくなったが、それ以上に恥ずかしくなったのは少年の方だった
少年は、ぴんと小指を伸ばしていたからだ。それは女性がやるような手の形になってしまっていた。
それを見られたと思い、少年はかあっと顔を赤くした
そして少女が「あ」と言ったのもいけなかった。それははっきりと少年の耳に入り、いっそう羞恥をかきたてた
少年はすぐに本を閉じて、鞄にしまった
そして少女と目を合わせないようにして、一目散に図書館を出て行ってしまった

「…………」
その展開に、少女は口を閉じることも忘れてしまっていた
もうちょっとだったのに。こんな肩透かしってアリ?
だがしまったなと思う一方、心のどこかでまた来るかなと期待していた
そして次にくる時は、何巻目を持ってくるだろうか。その時には、カメラを忘れないようにしよう。わずかな可能性を期待して、そう決意していた

今日は楽しかったな
その時の少女の表情には、うっすらと笑みが浮かんでいたのだった



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