夕方から降り続く雨は、いまだ止む気配がない。
水滴が窓を叩く音だけがぱたぱたと部屋に響いていた。
真夜中。
時計の短針はすでに真上を通り越したのだが、日が明けるにはまだ早いといった頃合い。
「……ん」
彼女はふと、目が覚めた。
何のきっかけがあったわけでもない。
だが、彼に出会って数年経った今、長年培ってきた彼女の第六感は微かなその気配を察知した。
ベッドの上で軽く身じろぎしてから布団をよけて、ぎしりと身を起こす。
「……ソースケ?」
まだ闇に慣れない彼女の視界に、彼の姿は見当たらなかった。
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「こら」
「……う」
まだ湿り気を帯びたままの宗介の髪を、誰かがぐいと引っ張った。
彼のぼやけた視界の中でかろうじて見えたのは、逆さまになったかなめの顔。それも、明らかにふてくされたような。
「あのね。勝手に人んち侵入しといて、それはないでしょ」
「……」
「なんとか言いなさい……よっ!」
かろうじて手の届いた上着の端を、思い切り掴み寄せる。
どうも脱力しきっているような彼は存外に重くて、引っ張り出すのも一苦労だった。
当の本人は半分寝転がった姿勢のまま、一寸たりとも動こうとしない。
寝呆け半分、その回転しきらない頭で思いつく言葉といえばせいぜいこれくらいだった。
「…しばらくぶりだな、千鳥」
「三日ぶりだけど」
「………」
「っておい!寝るなっての!」
「う」
起き抜け直後の人間に特有の、微妙に低く掠れた声。
彼がようやく半身を起こした後、数瞬経たぬ間にゆらりと後ろに傾いた。その襟首をつかんでがくがくと揺らす。
宗介は一目見てわかるほどに疲弊しきっているようだった。雨の中歩いてきたらしく、上着も髪も冷たくしおれたままだ。
はっきり言って、珍しい。
彼女の知るところの宗介の行動様式というと――
朝、ふいに目を見開いたかと思うとぬらりと身を起こし、何事もなかったようにあたりを徘徊し始める。
放っておくと、いつのまにか部屋の隅で銃の分解整備を終えていたりしていて……まあ、とにかく、人間らしくない。
閑話休題。彼女はその意外な一面に妙に感心しつつ申し訳程度に尋ねてみた。
「いつからそこにいたのよ」
「…忘れた…」
「で、また仕事?もしかして、三日徹夜?」
「……それは、いいのだが…帰りにとんだ足止めをくらった。
八丈島も知ってのとおり台風が接近中で、だな……」
「はあ。遅れたわけね。それで」
「……いつもの降下地点から歩いて帰ったのだが……するとボン太くんが」
「寝ぼけてんの?」
「……ボルシチが……」
「寝るなって言ってるでしょうが!!」
「ぐ」
再び後方に傾いた彼の襟首をすんでのところで捕まえる。
ここまで萎れきった宗介も珍しい。意識がはっきりしていない分、彼の中の箍みたいなものが外れているのかもしれない。
とにかく、よほど疲れることがあったのだろう……彼の生業からいってそれは容易に予想がついた。
「だからってね。せっかく帰ってきたなら、一言くらい声かけてくれたっていいんじゃないの?」
「…た。ただいま……か」
「遅いわよ。それに、勝手に人のベッドの下にもぐりこむのはやめなさい」
「上ならいいのか」
「ダメ!!」
真っ赤になって彼女は否定した。彼の場合、素で言ってるかどうかもわからないのだから余計に厄介だ。
「まったく。上着も脱がないで…泥ついてるじゃない」
「………すまん」
「ほら、貸しなさい。あー、もう。洗濯しないとだめだわ、これ」
もぞもぞと、ポケットの中身を取り出していく。
手榴弾やらなにやら物騒なものがごろごろと出てくるのだが、そういった扱いは不本意ながら慣れてしまった。
これを一緒に洗ってしまった時のことを考えると、こちらのほうがよほど一大事なのだった。
「見えないから電気つけて。そのベッドの横のやつ。それ」
「…了解」
かちりという音とともに、白熱灯の光が部屋に長い影を作った。
「眠いなら寝ていいわよ」
「……そうさせてもらう…」
「そこのソファーでどうぞ。毛布はテキトーに取ってきて」
「……」
暫くの間ぼんやりとかなめの様子を見つめてから、ゆらりと腰を上げかけて。
「カナメ」
「あ」
数分ぶりに、部屋に静寂が戻る。
かなめは冷たいフローリングに後頭部をごちりとぶつけた。
(痛っ)
声が出ない。――というか、出せなかった。
上着の出す衣擦れの音だけが、部屋に響く。
「………ふ」
「…………」
かなめの位置から顔は見えない。
彼は目つきこそ空ろなままではあったが、先ほどとは決定的に違う何かが色濃く影を落としていた。
「嘘つき」
とっくに目、覚めてんじゃないの。
肩に埋めたままだんまりを決め込む彼の後ろ頭を、とりあえず軽く叩いておいた。
いつのまにか戻っていたのは彼の意識。だとしたら、外れていたのは別の箍?
***
やっぱり、部屋の隅っこで分解整備をしている。よくよく知った彼だった。
微妙に赤らんだ顔を隠すようにして布団をかぶる彼女の目は、やっぱりふてくされていた。
戦士の嗅覚……もしくは、かなめに関する第六感というものが彼にもあったかどうか、彼は銃の部品から目を逸らさずに一言漏らす。
「おはよう」
「……」
ばしっ
「いた」
手元にあった雑誌を乱暴に投げつけ、早速彼女はぶちまけた。
「…ったく。なんてことしてくれんのよ!」
「は?」
「き、昨日のこと!頭打っちゃったし…」
「……頭?打った?」
「とぼけてんの?」
「何のことだ」
「……昨日。忘れたわけ?」
「疲れていたし、眠かったからな。全く、覚えていない」
「全くですって」
「そうだ」
「それも、嘘でしょ」
「ああ」
顔だけ上げて無表情に答える宗介に、なんともいえない複雑な感情が込み上げてくる。
一瞬視線を交えて、本日最初のため息をつく。その後の沈黙は異様に長かった。
「……………………あんたって…」
「待て。そういえば、半分本当だ」
「何がよ」
「頭を打ったのは知らなかった」
「……」
「すまない。…痛むのか?」
「どーでもいいわよ、そんなこと」
「見せてみろ」
「いいってば!」
無骨に伸ばされた手をあしらい、ぷいと顔を背けて窓際のカーテンを開けてみる。
雨は上がっていた。
END
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